「大仏のつくりかた」2回の自由研究会を終えて






ものづくりにおいて、複製の効率化を目的とするだけではなく、素材の置換え、一定の完成度を実現するためなど、型をつくるという概念は古くから多用されています。 「型」を広義に捉えれば、「版」「治具」などもそのひとつといえるかもしれません。

それはモノをつくるための「情報整理」「情報固定化」の要でもあり、要素の「転写」や「伝播」を手助けするものでもありますが、今日それらの多くはモノ、コトを問わず、コンピュータテクノロジーによって、型そのものが見えにくい(現実空間に実体を持たない)ものにも変容しています。

造形における型づくりに着目してみると、そこにはいくつもの難関があります。 「抜勾配」(ぬきこうばい・ぬけこうばい)もそういった要素のひとつと捉えることができますが、それをクリアしていくプロセスをモノがつくられる過程の中に埋没した創意工夫の象徴として掘り起こし、そこを起点とした考察を行ってみると、それまで見えなかったものが浮かび上がってくることが多くあります。

そういったイメージ喚起に繋がる思考活動として、ちょっと立ち止まって「ゼロから考えてみる」自由研究活動こそがこの [NKB LAB] の主旨であると考えています。





2017年7月14日・8月18日の2回に分けて行った自由研究会「大仏のつくりかた」は、何度か拝観しながらも解っているようで解っていなかった、奈良時代に造立された東大寺盧舎那仏坐像(奈良の大仏)がどのように制作されたのかを今一度考察してみるという企画です。

歴史的背景を主に語られることは多いとは思うのですが、あえて「鋳造法」に焦点を当てて、調査研究資料等を参照しながらどのように型作りが行われたのかを中心に見つめ直してみたいと考えました。

今回この研究会に参加いただいた方々には、まずその技法の素地で日本古来から行われる「真土型(まねがた)鋳造法※1」 について、その工程や構造の複雑さを理解していただくことが重要で、こちらで作成した想定図や、実際に真土型鋳造による型から割り出したままのブロンズ※2を見ていただきながら、大仏ほどのスケールにその概念を用いた「偉業」における疑問を解消していくことになります。 ただ、現在観ることのできる大仏さまの大半は後に補修されたものであるため、それを紐解く要素が少なく、謎が多いことも事実のようです。 それだけに自由に想像を膨らますことができるという面白みもある訳です。

・型になる土はどのように強度が保たれたのか※3 ・8回(8段)※4に分けて鋳造したとはいえ、1つ1つの型の単位はどれほどの大きさであったか ・鋳境※5はどう接合されたか ・ガス抜き※6はどうか、張り止め※7はどうか ・寄せ型※8を多くつくる必要があっただろう ・水蒸気爆発の原因となる雨よけ※9をどう施したか ・大きな型を外したり収めたり、どのように移動させたのか※10

…などなど、多くの想像を巡らせます。





大仏の原型は、744年、信楽(滋賀)で骨組みを組み始めたそうです。

塑像で使う土が多く採れること、材木が手に入りやすいことなどもその理由であったかもしれません。

しかし、理由はわからないのですが、翌年平城へと移築されます。

それから27年、一旦は(おそらく半ば無理矢理に)完成させた大仏ですが、当時の技術からすれば凄まじい突貫工事であったことが想像できます。

平安時代に入り、855年の大地震により大仏の首が落下し、仏頭は大破に近い損傷を負います。 また、鎌倉時代には火災によって多くの箇所が崩壊し、その後の修復も虚しく、室町時代には再び戦火で炎上します。 桃山時代に渡って少しずつ修復が行われながらも、100年に及ぶ野ざらし状態を経てようやく江戸時代に大仏殿再建を含めた大工事を行うこととなります。 記録によれば、どの時代もどう手をつけていいかわからないほどの難工事であったことが伝わります。

これらの史実をみると、奈良時代の鋳造技術でこのような巨大な造形物を造立するのは無茶であったと感じられる一方で、鋳物の不出来をカバーする仕上げの徹底ぶりは当時の産業社会の異常ともいえる活気を感じさせます。 その後江戸期まで何度も繰り返された補修跡を見ればその鋳造技術の進化と共に工人のやや希薄な仕事ぶりもうかがえ、現代に至るその社会性の移り変わりをも映しているように感じます。

とはいえ、後にも先にも例など無いまさにゼロからのチャレンジです。 理論上は可能であっても容易にはいかないこと、それを乗り越えることも、全ては自然との対話の中から学ぶしかなかったはずです。 人は何でも思い通りにつくり出せるわけではない — そんなあたりまえの謙虚さを、どの時代のクリエイター達も自然から多くのカウンターを喰らいながら実感したに違いありません。 大仏は御身をもって多くの課題を私たちにつき突け、学びの機会を与え、その実体を残しているからこそ今尚その貴重な経験を共有し続けてくれると考えることもできます。





今の私たちにとって、その当時のものづくりをイメージするということはとても重要であるように感じます。 「モノ」より「データ」が重要視されれば、モノは「消費」の対象として扱われる傾向が強まっていきます。 時代は変わり、モノは使うものであったり、鑑賞するものであったりと様々ですが、同じモノを捉えるにしても「消費」をベースにしたイメージと「創造」をベースにしたイメージとではそこから広がる景色は明らかに違うものではないでしょうか。

「大仏のつくりかた」をイメージするということは、単なる古美術研究ではないと考えています。 私たちが日常において何気なく目にしているものを透して見えてくる景色を少し変えてみたい、そんな手掛かりとなる取り組みとして、今何かをつくるということを少し見つめ直すことへと繋げられないかと強く思うのです。 





さて、2回に渡り20名程度の方々にお集まりいただき、いろいろなご意見や疑問点をいただいたり、ネット上にある簡易的な説明に対するツッコミなど、予想以上に真剣にお付き合いいただけたと少し驚いています。

また、様々な質問にもはっきりした回答を出すことは困難で、調査研究資料を隈なく見ても曖昧なところが多々あります。

細かなところは想像の域を超えないことをご理解いただきながらそれぞれにイメージを展開しつつ、ひとまず制作過程の要点はかいつまんでまいりました。

これをふまえて、このラボは次のストーリーへと展開していきます。

次回は付近の鋳物工場へと出向いた見学、木型の観察などの企画を予定しています。

また、少し先のことになるとは思いますが、1/25スケール程度の大仏さまをブロンズで再現したいという意見も出ております。

参加者間で意見をまとめ、1つのプロジェクトへと発展するかもしれない、そんな期待も膨らみます…

というわけで、来る者拒まず去る者追わず、ただ1人では寂しいので今後も何時どなたでもご参加いただけるようお誘いしていきます。

ご興味をお持ちの方はぜひご参加いただければと思います。





※1

真土型(まねがた)法とは日本古来から伝わる土を鋳型材とする鋳造法である。一般的に鋳物の肉厚は一定にすることが望ましく、外型に加え中型も作成する必要がある。原型から抜いた型を焼成することで強度を確保する「焼型法」を基本に、梵鐘や茶の湯の釜のように原型を用いず回転体の外型や中型を挽型で直接土を削り型押し等で鋳型に文様をこしらえる「惣型法」、いわゆるロストワックスのようにあらかじめ鋳上がりを想定した中型をつくり、その上に蝋を塗りつけながら形を整え、そのまま外型で包み、焼成によって蝋を気化させて鋳型を作る「蝋型法」などがある。

※2

ブロンズは鋳造のみによって製造される銅合金で、Cu:Sn:Zn:Pb(銅:錫:亜鉛:鉛)の合金。青銅、砲金などとも呼ばれ、85:5:5:5が美術鋳造に適した配合の目安とされる。腐食によって現れる緑青は表面を保護する役割も果たし、古い鉄器などとは違い青銅器が出土される事例が多いのもそのためである。

※3

特に天平期の大仏鋳造でつくられた鋳型は型1つの単位が大きく、崩れないよう焼成することはもちろん、ブロック状に積まれる鋳型一つ一つに鉄筋が数本入れられたと想定できる。

※4

本体のみで8回に分けて鋳造されたという記録があるが、下から一段一段型を取りながら鋳物の厚み分の原型を削りそれを中型とし、金属が流れる隙間を確保しながら型を収め、段ごとに一斉に鋳込みが行われたと考えられる。上記でも述べたように鋳型1つの単位が大きかったとはいえ、1回の鋳造分一段もかなりの数に分割された鋳型であった。それでも1人ではとても動かすことなどできない大きさになる。

全身が鋳造された段階では巨大なピラミッド状の盛り土に本体が埋まっていたことになる。

※5

鋳境(いさかい)とは数回に分けて鋳込を行う場合に必ずできる湯の境目。この部分はしっかり溶け込まず、後から補鋳を行う必要がある。「鋳かけ」や「鋳からくり」など様々な方法で対処したものとみられるが、天平期の技術ではまだ強度の高い接合方法は確立していなかったことがみてとれる。

ちなみに鎌倉の大仏は「鋳からくり」の技術が進み、それによって接合強度が高められていることがわかる。

※6

金属が溶解する際、空気中の酸素や水素を吸収し、凝固の際にそれを放出するため、ガス抜きが悪いと気泡が残りやすい。天平期の鋳造部はそれが多く、ガス抜きが上手く行われていないことがわかる。

※7

金属は比重に伴って湯の圧力も大きなものになる。1度に何トンもの金属を流し込めば型にかかる圧力はかなりの力になるため、型が動いたり、鋳物のかたち自体が歪んだり、時には大きな事故にもつながる。

それを極力防ぐため、中型と外型の間を貫通するように杭が打たれたと調査資料には記述されている。

さらに外型を覆うように大量の盛り土がなされたはずである。

※8

寄せ型とは抜勾配になっていない部分において主型と原型との間にもう一つ型をつくり、主型と分割して抜ける型を作る方法。例えば顔面を型取りする場合、鼻の穴は引っかかってしまうので、鼻の穴を埋めるように小さな型をつくり、その上で顔面全体の型をつくる。そのように大きな型の一部として収まる型を「小よせ」、収まることはないが主型を補う寄せ型を「大よせ」と呼ぶ。

※9

鋳造において水分は大敵で、型が湿気を帯びていると水蒸気爆発の危険性が極めて高くなる。大仏鋳造においてそういった事故は多発したと考えられるし、何らかの雨よけは必要であったはずである。

記録としては不明であるが、大仏殿を凌ぐ大屋根を建てて作業が進められた可能性も否定できない。

※10

想定図等では丸太のようなコロを敷いて型を動かしているイメージで描かれていたりするが…

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